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テレビを変えた人たち〜石川一彦

(『放送文化』2000年1月号)


ミレニアム特別企画
 
ドラマ・バラエティ番組 テレビを変えた人たち

史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ
(日本テレビ) '77 石川一彦

「アメリカを占領した」番組を成立させた男

 「こんな企画、普通は通りませんよ」と、この番組の“顔”である福留功男は話す。『史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』1回目の放送に使われた制作費は6900万円。90分の特番が2000万円前後でつくられていた時代に、この破格の大企画を実現させたのがプロデューサーの石川一彦だった。
 ネックはカネだけではなかった。むしろ、ヒトが問題だった。1か月に及ぶ海外ロケのために局の社員を拘束するわけにはいかない。だが、その難問に対する解答を石川は持っていた。それが、外部のクリエイターの力を集結させることだった。
 テレビ局が発注し、制作会社が得意分野で能力を発揮する。このパートナーシップの重要性を石川は誰よりも早く認識し、独自のネットワークを築いていた。“史上最大”のイベントは“石川組”とまで呼ばれた外部の仕事人たちのノウハウがフルに活用され、実現の運びとなる。
 全員参加を謳った番組には、「知力・体力・時の運」というキャッチコピーがついた。この言葉は、収録がスタートしてから生まれたものだ。「何から何まで手さぐりで始まった」と、石川は述べている。番組名物の“どろんこクイズ”や“ばらまきクイズ”は、海岸や大草原というロケ地の決定後、背景に合わせて捻出したアイディアだ。視聴者を引きつけたヒューマンドキュメンタリーなタッチも、参加者やスタッフの苦労をストレートに表現した結果だ。
 過酷なロケを敢行するスタッフに、石川は「アメリカを占領してこい!」と檄を飛ばしたという。日本のクイズ番組の多くがアメリカのモノマネといわれ続けていた中で、後に『ウルトラクイズ』はアメリカでも注目され、企画輸出されるという快挙を果たした。


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